きっぷ


 今いるところから どこかに行こうとします、その時なにかの力をかりようとすれば
まず、私たちは切符を手に入れようとします。目的地がはっきりしている時も、あるいは目的のない場合もあるでしょう。目的のないこと、または目的を探すことを「自由」などとよんだこともありました。

 

どちらにしろ、私たちは切符を手に入れなければなりません。
自分で計画し必要な場合は資金をためます、お金だけでなく自分に力をつけなくてはならない時もあるでしょう。
とにかく何とかして私たちは切符を手に入れようとします。

 

そんな新しい切符の必要のない人たちもたくさんみえるでしょう。
ぼくらは生まれたときから切符を一枚持っています、だれからもらった物なのか、おぼえてもいません。

でも、一枚いつも胸のポケットにはいってます。
そんな切符のことなど いつもはほとんど忘れています、時々おもいだしては…ドッキとします…探します、そしてそっと握ってみます。

「新しい切符を手に入れること」はそれを捨てることではなく、すこし方向をかえてみる時に必要になるものなのです。

 

ある時、いつも駅の近くに行って出ていく汽車をみていました、ある日、勇気をだして「切符」を買いに駅に行きました。
「切符」は手に入れましたが、出発の準備はまだしていません。 出発の準備をする前に ぼくはまわりの誰かに「切符」をみせます。
相談するのでもなく、報告するのでもなく。いつも、そうしてきたように思います。
今日  はっきりと感じました、ぼくはいつも「その人たち」に切符の使い方を決めさせてきたのだと
それがぼくの生き方(逃げ)だったのだと……

 

自分がつかう切符です、手にした切符のつかい方は自分で決めることでした。もし、つかえないとしても、今はできないと自分できめることさえできれば (たとえ迷って決断できなかったとしても)それがぼくが生きてるってことなんだ。と、今 ぼくは自分の切符を手にしています。