神との意識的触れ合い

こんな言葉を聞くと、びびってしまいますよね。
神がなんなのかもわからないのに、どうやって意識的に触れ合うの?
見えないし、触れないものとどうやって触れ合うなんてできるの?
とっさに思ったのは、こうしたことでした。

こんな経験はありませんか。
一人ではやれなかったけど、誰かと一緒だったらやれたこと・・・・
AAで飲まない生活を続けられているのもそうかもしれない。
一人だったらサボってしまうお掃除も、他の人たちがやっているから、
仕方なくても最後までやれた。
自分一人の食事が作れなくても、食べてくれる人がいると作れちゃう。
あらゆる場面で、こうしたことは頻繁に起こっていますよね。

これって、自分以外の力を借りてやっているのですよね。
これって、自分以外の他人の力だけだったのでしょうか。
もちろん、他の人の力もあるでしょう。
でも、それだけではきっとないはずです。
だって、どんなに強くお酒を止めるように注意されても、
私はお酒を止めることはできませんでした。
私に止めようという気持ちを起こさせる力がそこに働いたのです。
この力こそが「神の力」だったのではないでしょうか。

同じ目的を持っている人たちの中にいると、
その目的を達成しようとする気持ちは強まります。
だから、飲んでいた頃、飲まない人と一緒にいるのが嫌だった訳です。
だって、飲みたかったんですから、飲む目的を同じくしている人が心地よかった。

いつもいつも、私たちは神と触れ合いながら生きてきたのでしょうね。
自分では何も気づかずに・・・これは無意識的でした。
自分の達成しようとする目的を共にする人たちと一緒にいるように心がけたなら、
それこそ、「神との意識的触れ合い」になるのではないでしょうか。

きっと、他にもいろいろなやり方があるに違いありません。
今、私がやれる一つの具体的なものに気づいたことに、感謝しています。