欠点

ミーティングで話を聴いているうちに、自分の欠点に気づく。
正確には、適切に使われていない「私の特徴」だと思っている。
どんな特徴も、時・場所・使い方が適切であれば、長所となるだろうし、
不適切であれば、それは欠点と呼ばれることになる。

しかし、その欠点に気づくが、なかなか直らないものが多い。
もちろん、気づくだけでかんたんに変えられるものも少しはある。

この変えられない欠点を、どうしたら変えられるのかあくせくしてみた。
意識すればするほど、泥沼に入っていくように感じた時が何度もあった。

ここにも、変えられるものと変えられないものを見分ける賢さを使えなかった私がいた。
変えられないものは受け入れ、変えられるものは変えていこう。
そう、AAは提案しているではないか。

変えようとしても変わらない欠点を変えるという課題は、
今の私では解決できないんだという簡単な答えに気づかなかった。
だから、やっきになって欠点を直そうととするのではなく、まず自分を変えることだ。
変えられるものを変えることで、少しずつ私は変わっていくはずだ。
その中で、一つずつ、変えられなかった欠点を動かすことができるようになるばずだ。

こうして書いてみて、こんな理屈は本当は必要ないなって感じる。
でも、今の私には必要だ。
変えられない欠点をそのまま受け入れる覚悟をつけるために……

しかし、これはあくまでも自分で気づける欠点に関してだけだ。
自分では気がついていない欠点の方が、実は大きな問題を起こしていることに気づいている。
これこそが、やっかいだ。
それがはっきりあると思える証拠は、
日々の生活の中で、予期しないトラブルが起こるからだ。
漠然とますいとは思っていても、どこがどのようにまずいのかがわかっていないのだ。
時には、わかっていると自分では錯覚しているものがあるのかもしれない。

「問題がわかれば、答えは必ずある。答えがわからない時は、
 問題のとらえ方が間違っているのだ。」と誰かが言っていた。

AAに来て、お酒を止めた後の方が、お酒のトラブルの全貌が見えてきた。
欠点も同じかもしれない。

たぶん、いろいろやり方や考え方を変えながらやっていくうちに、
気がついたら改善している「欠点」に気づくだろう。
その時こそ、その欠点がどこがどのようにまずかったのかがわかるのだろう。

結局、できる限りで黙々とひたすら生きていくことが、唯一の方法で、
その道のりで自分の特徴を「風景」を見るように教えてもらえるのだろう。