どうして飲まないでいるのか、どうしてあんなに飲んだのか。

 飲んでいた頃、私には飲む理由が数え切れない程あった。
 私にかかるストレスが多いから、
 私の気持ちを周りが理解してくれないから、
 夜、ちっとも眠れないから、
 お酒を飲むといろいろできるから・・・・

 飲まなくなって、私が思っていた飲む理由は全部言い訳だと気づいた。
 飲まない時間が経つにつれ、どうしてあんなに飲んだのか不思議だった。

 少しずつ、どうしてあんなに飲んだのかが少し感じられるようになってきた。
 そして、どうしてかはわからないけれど、
 AAのミーティングに通い始めてから、私の飲まない生活が始まり、
 今も続いていることはまぎれもない事実だった。

 飲んでいる頃、両親・兄弟・友達・病院の人たち、たくさんの人から、
 いろいろなアドバイスをもらった。
 当時、アドバイスとは受け取れず、私に対する批判としか受け取れなかった。
 しかも、それらは全く私を理解していないトンチンカンなものに思えた。
 でも、一番トンチンカンだったのは私だった。
 たくさんのアドバイスは大方当たっていた。
 一番大きく錯覚していたのは、私の自分に対する見方だったのだ。
 いくら私のことを言われていても、理解してもらえないと思えたのも当然だった。
 周りの人たちが、どうしようもないとあきれたのも当然だった。

 自分がどうだったのかを見つけることができたのは、
 同じ経験をしてきた仲間の話からしか私は感じることができなかった。

 自分を錯覚してしまう私は、今でもしばしば周囲の反応との間で問題ができる。
 その自分の錯覚に気がつける場所が、私にとってのミーティングだ。
 私は、ミーティングに行って仲間にも会うけれど、
 一番大切な出会いは、私自身なのだと思っている。

 私自身との出会いを大切にしていくことで、
 私自身の無理な生き方から自然な生き方へと向かえるように感じるのだ。
 自然な生き方へ向かうこそ、
 アルコール依存症者は飲まないで生きることだ。

 飲んでいた頃、私はアルコール依存症者なんだから飲むんだって思った。
 これって、私は心筋梗塞だから頑張って走るんだってのと同じだったんだ。

 でもでも、少しばかりの糸口は見つけられたかもしれないけど、
 どうして飲まないでいるのか、どうしてあんなに飲んだのかは、
 永遠の謎の中にあるのだろう。

 今はどうしてかなんて、たいした問題ではなくなった。
 今、飲まないでいられることを飲んだ経験ととも大切にしていきたい。