霊性=spiriuality(魂の)

 あるミーティングでこのテーマが出た時、ある人の話でガーンと頭を殴られた。
 自分の最初の霊的現象は、いつもお酒を飲んで下痢ばかりをしていたのに、
 AAに来てお酒を飲まなくなって、はじめて気持ちのいい「一本グソ」が出た時だと
 話してくれたのだ。ウンチが気持ちよく出ることと、霊的と何の関係があるわけ?
 この人、ちょっとおかしいんじゃないのと正直思った。

 けど、何故だかその話は私の中に深く残った。

 飲まなくなって、ご飯が本当においしくて感動した。
 花が咲いているのが「きれい」って思えて嬉しかった。
  ちなみに私は、花は好きではないと思っていたから。
 誰かに道を聞かれて、丁寧に教えられた時、気持ちが暖かくなった。
 こんな私に育てたと恨んでいた両親に対して、
 私の父と母の子供に生まれてきて本当に良かったと思えた時、嬉しかった。
 仲間がスリップした時、悲しかった。
 離れた仲間が、ミーティングにもう一度来てくれた時、無償に嬉しかった。

 どれもこれも、当たり前のことばかり。
 そして私にも、生まれてからいつかまでは自然にあったものばかりだった。

 お酒を飲み続ける間に、私の当たり前のことはどんどん変化していった。
 何を見ても感動しなくなったし、
 人の親切にも素直にありがとうという気持ちを持てなくなっていた。

 だから、その気持ちを取り戻せたとき、一つ一つありがたく受け取った。
 そんな中で、「一本グソ」とそれらのことが私の中で一つになった。

 「霊性」って、高尚な特別なことなんかではないって。
 自然な当たり前のことで、いつも私たちのまわりにあふれていること。
 「霊性」って、どんなことにも怒らず、微笑みを返せる聖人になることじゃない。
 自分の中に自然に起こってくる感情全てをそのまま受け止めることじゃないかな。

 私は、この病気になって、せっかく与えられていた大切なものをたくさん忘れた。
 それが、たぶん「霊性」だった。
 自分が苦しい時には助けてもらったり、困っている人にはできることをしたり、
 嬉しいことがあれば素直に喜び、痛い時には痛いと言う。
 そうしたことができなくなっていることに、気がつかなかった。

 AAに来て少しずつ思い出した「霊性」は、
 子供の頃から、両親や周りの人たちから折に触れ聞かされていたことだった。
 私は、聞きながら「へん」と鼻先で馬鹿にしていたのを思い出す。
 まさか、こんなに素晴らしい喜びをもたらしてくれるものだとは知らずに。

 最初から与えられている素晴らしい贈り物(当たり前のもの)が「霊性」で、
 その素晴らしい贈り物に感謝できることが「霊的」なんだよね、きっと。