飲む自由、飲まない自由


社会人になってお給料をもらった頃、自分のお金で飲むのは私の自由だと思った。
一緒に飲みに行って、飲まない人は嫌だった。
そう、人の飲まない自由なんて考えたこともなかった。
どんどんお酒で生活がすさんでいく中、なんとか飲む自由を私から奪って欲しいと
何度願ったことか。
そんな私には、もう飲む自由も飲まない自由もなかったのだ。
もちろん、そのことに気づいたのはAAに来てからのことだけど。

AAに来てから飲まない生活を経験する中で、私は飲む飲まないを選択できる
ようになっていると思った。
飲まないことで、飲んでいた時には得られない自由を感じ、喜んでいた。
果たしてAAと共に生きることで、飲む自由と飲まない自由を私は持てたのかな。
否、違う。

私がアルコール依存症者である限り、私にはどちらの自由もあり得ない。
ただ、AAに通う中で、それらの自由を与えられているだけだ。
私自身には、やはり飲む自由も飲まない自由もないのだ。

このことを、悲観的に思ってはいない。
だって、どんな自由であったとしても、全て同じ性質のものだから。
物を買える自由、人に指図できる自由、部屋を模様替えできる自由、
どんな自由だって、永久に私のものとなるものなんてなかった。
必要な時に、与えられていたものだったのだ。

そう、私たちアルコール依存症者にとって、お酒は人生の道標なのだろう。
飲まなくなった今でも、飲む飲まないのことを考えると、
他の事柄への解決の方法を見出せる。
きっと、これが私たちに与えられた一つの特権なのだろう。

これを書いていて、やっとわかったような気がする。
誰かに言われた不思議な言葉の意味が・・・・
「あなたたちは、飲む人生と飲まない人生の二つの人生を経験できて、
幸せな方たちですね。」