自我の収縮(1)
何でこんなに難しい言葉を使うのか、さっぱりわからないと思った。
要するにわがままや身勝手を減らしなさいということでしょ。
これは間違っていると思っていることを引っ込めることは、まだやさしかった。
…しかし、最初はこれも簡単ではなかったし、今もしてしまっている。
自分は正しいという思っていることを、押し付けないようにすることは、
ほんとに大変なことなんだ。
…ただの善は、最善の敵とビルは言っていたとか。
空気抜きみたいな作業ではなかった。
石が川を流れていく間に、だんだん削られて丸くなるのと似てると思う。
  誰かが言ってた。
芋は芋同士をこすり合わせることできれいに洗えるように、
アルコール依存症者同士が一緒にやることによって回復できると。
自我の収縮(2)
AAに来たばかりの頃、「自分」がないと思っていた。
自我なんて、どこかに落っことして来てしまったよって。
でも、飲まない日が続く中で、自分の中の欲望の強さに気づいた。
どうしても ゆずれない執着にも気づいた。
その通りに行く時は良かったけれど、思い通りにならない時は苦しんだ。
この自我とやらが無くなれば、苦しまなくてもいいのではないかと、
あれこれといろいろ試してみた。
収縮しようと試みると、その後で必ず膨らんできた。
何度抑えてみても、その繰り返しだった。

飲まない生活をしている自分を考えると、自分でやり遂げたこととはとても思えない。
今、飲まないでおこうといつも努力しながら、飲まないでいるのではない。
自然とやらせてもらっているのだ。

このことを思うと素直に全てに感謝できる。
そう、「私が」がないことに気づいた。
たぶん、「私が」ではないところから出発すればいいのだと思う。

「私が」を 無くしてしまったら、
自分が居なくなってしまうのではと 考えがちだが、
… 自我にはかかわらず、…
ここ (己) からではなく、それ以外の出発点を探すことだ、
ここにとどまろうとすれば、今の私は また 自我と格闘になる。
でも、その必要はないことに気付いた 場所をかえることを…… しった。

『意識しては、 なかなかできないんだけど…… 』